④と同時に薦められた漫画がこちら。
あらすじ
主人公は扉にも描かれている顔のいい女・実千果。
婚活パーティーでも若い、かわいいと言われるし、本人もそれを自覚している。
街ではちっちゃくてかわいいとナンパされ、女の同僚には実千果みたいなタイプが一番モテる、いつも男に守ってもらえてうらやましいと小言を言われ、男の同僚にはおまえに営業はムリだろ、事務にしとけと言われる。
似合わないからと、タバコだって一人の時しか吸わない。
その実、彼女は見た目で決めつけられることを息苦しく感じている
そんな彼女の憧れは、スター歌手のSAKAKI。
場面は変わって十年前の回想。
田舎で、おじさんと実千果が話している。
当時の彼女はあてどなく続く日常に価値を見出せず、自分は相応しいものには出会えずに死んでいくのだろうと絶望している。
おっ。友達もレベルが低いと決めつける。私の好きなタイプの自意識だ。
おじさんには、みんな思い上がりや孤独感を君のように表に出さないだけだと窘められるが、実千果は「私は自分を価値あるものだと思ってるわけじゃない」と否定する。
なぜなら人間には圧倒的な優劣がある、才能を持つ者持たざる者、たとえばSAKAKIと自分のように、と。
彼女と会ってみたいと思わないかと聞かれても、「一生私なんか目にも入らない場所にいて欲しい」と。
現実に戻り、タバコをふかしながら実千果は考える。SAKAKIは自分の持っていない全てを持っている。才能だけじゃない。その器に相応しい顔、スタイル、プロフィール。対する自分には表現したいことも湧き上がる思いも情熱もない。
と、場面は唐突にオーディション会場へ。目の前にはあのSAKAKIが。
いきなりオーディション受験動機を聞かれ、
「わからない、暇で」
と答える。
「自分の未熟さばかりが浮き彫りになってツライでしょう」
愕然として、実千果は目を覚ます。夢だったのだ。
実千果は10年間何度のこの夢を見ている。この10年でSAKAKIは不動の地位を手に入れた。
群衆はSAKAKIを称賛し、一般人である自分とスターであるSAKAKIは違うと言う。
一方の実千果は、その十年で心境が変わり、むしろSAKAKIに会いたいと思うようになっていた。
おじさんは「歳を重ねる度『自分は選ばれてない』って解っていくんだ」と言っていたが、実千果は止まれなかった。
髪を切って、小動物系からは決別したように見える実千果。
その先は、SAKAKIの独白。
流されるままの実千果
短い読み切りの中で、実千果への印象はめまぐるしく変わる。
外見に自己を規定される実千果は、生きづらそうで同情しそうになる。
だが小動物かというとそうでもない。
回想場面では、何も行動していないくせに周囲を見下す、尊大な自意識がむき出しになっている。
「あの頃はトガってた」と述懐こそするものの、自分で選択して行動することは今だってしていない。
口では自分に合った生き方を選んでいると言っているが、そこに主体性はない。
徹頭徹尾、主体的に選択をせず、後知恵で合理化しているだけである。
達観しているようで、そのくせ価値観だけは強固で、意思表示もしなければ人の話を聞こうともしない。まるで自我の無い姿勢は、若々しいというよりは年甲斐が無いように見える。
くそみそに言っているようだが、バカにすることができない人もいるだろう。私もそうだ。
成績がそこそこよかったからいい学校に行って、働かないと生きていけないから就活をして、内定が出たから会社に通う。私もそういう主体性の無い生き方をしていて、どこか無気力にただその事実を受け止めている。若かりし頃(トガってた頃)の自分なら唾棄するような人間だ。
実千果の主体性のなさ、リアルな後期青年っぷりは、むしろ身につまされるようである。
おじさん
おじさんの言っていることは、自分の身の丈を知って生きろという警句に思った。
しかし、百合学芸員の言う通り、おじさんもまた立派な大人ではない。
実千果よりほんの少し自己欺瞞がうまいだけで、皮一枚剥がせば深い虚無をたたえているのであろう。
おじさんのような器用な人間になるのが良いのか? その答えは用意されていない。
SAKAKI
SAKAKIは、全てを与えられ、ゆるぎない理想を持って自ら道を切り開いている(少なくとも、実千果からはそう見えている)存在として描かれる。
だがそれも、実千果はSAKAKIに才能があるからだと言っているが、本当のところは分からない。
この作品は徹底した一人称視点で、モノローグも実千果の視点で書かれているからだ。ただ一か所、SAKAKIの独白の部分は定点カメラで撮影したようで、実千果視点の映像なのか読者のために提示された場面なのかはわかりにくく、実千果にとってクリティカルなこの発言を本人が知っていたかは確実には分からない。
実千果は変わったのか
さて、何があったのか実千果は最後にオーディションを受けている。
実千果にいかなる心境の変化があったのか。どんな経験に背中を押されたのか。それは描かれない。
読者に分かるのは、実千果が無謀とも思えるこの決断をしたことだけだ。
私としては、実千果の発言は一貫してあまりにも世間知らずだし、SAKAKIのキャラや作品に憧れる彼女の精神性はSAKAKIの独白で明確に批判されているので、望ましい結果は待っていないように思える。
SAKAKIに会うという目的を果たしてしまった彼女に、その先の未来が描けるのかもわからない。
しかし、これは彼女にとって紛れもないハッピーエンドではないだろうか。
彼女はこれまで選択を他人に任せ、当事者性を持たず流されるままに生きつつ、自分の正しさを疑うこともしてこなかったのだろう。
だが、ようやく彼女は自分の意思で選択し、行動したのだ。
今後実千果が強固な自我を手に入れるかはわからないが、少なくとも他人に勝手に持たれるイメージに流されるままに生きることは無くなるのではなかろうか。
関係性
本作にある関係性は、SAKAKIのイメージ(本人の言う排泄物)に対する実千果の憧れであり、ひたすらに一方的だった。
とはいえ女同士の話だし、百合学芸員に薦められたし、百合ということでいいか。
退屈と決断
さて、作中には閉塞感と倦怠感が満ちており「退屈」「暇つぶし」という言葉が何度も出てくる。
退屈は可能性と表裏一体であり、退屈できるということは自由であることの証左でもある。実千果の少女時代にただただ退屈な時間が過ぎてしまったのは、実千果が与えられている自由を何一つ活用しようとせず(諦観するだけで何も行動していない)、暇つぶし(本も映画も音楽も「暇つぶし」と豪語している)で時間を使いつくし、(顔がいいならそうしろと)勧められるがままに生きてきたせいであるといえる。
最後の最後に、実千果は無謀極まる決断をし、自分の人生を選び取ろうとする。
実千果の決断は(練習もプロを目指しているとは思えない内容で、SAKAKIの独白も彼女のような主体性の無い人間への批判であることからしてわざと過剰なまでに)無謀であり、手放しに称賛できない演出をもって描かれている。
とはいえ、誰しも何か大きな決断をし、人生を変えようとするときは彼女のようになるのではないだろうか?
決断の瞬間とは一つの狂気であるという、キルケゴールの言葉がある。
あらゆる決断は、他のあらゆる可能性と自由を捨て、自らを決断の奴隷にするという狂気によってなされているという。横槍メンゴ先生はこれを知っていたのではないだろうか(オーディションのシーンでは、狂気のモチーフである月が印象的に描かれる。猛獣から連想したのかもしれないが)。
退屈しているのであれば、実千果のように決断するしかない。
彼女のように勢いに任せるか、あるいは周到に準備をするか、はたまたおじさんのように器用に現状を受け入れるか、あなたは選べる。
暇と退屈についてはこの本を思い出しながら書いてます。
おまけ
今回の百合学芸員とのやりとり(オタク100%)を付けておきます。