タイトルの通り。
いや意味わからんが。
論旨は「百合オタクの友人に勧められた冬虫カイコ先生から百合(関係性)のオタクに引きずり込まれそうだ」ということ。
経緯
きっかけ
関係性のオタクである友人と話している最中です。
たまたま関係性観の話になったときのこと。
なるほど。百合は全然興味が無かったけど……、そんなにイチオシなら……。
それにしても友人はあの錯綜した文章からよくレコメンドできたと思う。一晩経ってから読んだら私自身あまり意味が理解できない。
で、読んでみる。
二人とも目が死んでるけど、私はヴィジュアルより話が気になる人なのでスルー。
おっ?
この、「自分ら以外の人間もそいつらのやってることもしょーもない、自分らのしていることだけが崇高なのだ」という感覚、理解者と二人の世界に耽溺する感覚。
私は身に覚えがありすぎて、一発で心惹かれてしまった。
しかし、もはや青少年でなくなってしまった人なら誰もが理解している通り、「自分ら以外がしょーもない」ということはなく、「自分と誰かが同じ世界を見ている」ということもないのである。誰もがいつしかそれに気付く。
おそらく、経験を積むことで現実の自分の大きさを知ってしまうから、自分の自我は他者とも世界とも隔たれていることを理解してしまうからであろう。
作中の二人も、同じように二人を隔てる悲しい壁を理解してしまう。
ある出来事を通じ、二人は同じ世界を見ていたわけではないこと、そもそも世界を相手取って何もできやしないことを知ってしまう。
それはとても寂しいことである。読んでいて気持ちがいい訳ではない。
しかしやはり、人は皆世界と一体だった「気がした」頃、全てを理解できていた「気がした」頃の心地よさが懐かしいのではないか。そして少なからぬ人が、いつかははっきり覚えていなくとも、その心地よさと決別する痛みを覚えているのではないだろうか。心地よい世界が幻想に過ぎないと気付いてなお、幻想を見ていた頃に郷愁を感じ、あの頃の感覚を心のどこかで求めてしまうのではないか。
少なくとも私は、それを自覚させられてしまった。
この作品で描かれる関係は決して美しいだけのものではないが、とにかく強烈な、抗い難い少年期への郷愁を覚えてしまった。
とても辛いのに、この痛みに惹かれてしまう。
もう筆者は冬虫カイコ先生の描く世界に興味津々だ。
その先へ
そこでオススメされたのがこちら。
主人公の女子高生、肉屋の娘の月星は、どうしても父の弁当の肉が食べられずに捨ててしまう。
ただそれだけだが、彼女の嫌悪感と抵抗がアンニュイな筆致でこれでもかと描かれる。
不安で不快なだけで、読んだときは全く理解できなかった。
理解できないなりにこじつけて、わかったふりをして感想を送ったところ、百合学芸員がアシストしてくれた。
この先でさらに単行本を数冊読んで分かったが、カイコ先生は生きていくにしたがって摩耗していく(一般的には「克服していく」と言われる)中高生のありのままの感性を描くスタイルである。それがどんなに独り善がりで身勝手なものであっても。
何作かある「生臭いものへの嫌悪感」を描いた作品もまた、「この世界から嫌な物はきっと排除できる」「嫌な物の無い世界まで逃げ切れる」と思っていた「あの頃」の心地よさ、思い込みに気付かされた時の喪失感を呼び起こすものなのだろう。
どハマり
もう、他も読みたい読むしかない。
カイコ先生の作品を探し、Kindleで単行本まで買ってしまった。
まずは「少女の繭」。
第1話「ブス」では、自分の見ていた世界が幻想だったと気付いてしまう少女。
第2話「代用品」では、自分に向けられていた好意(と信じようとしていたもの)は、実は幻想に向けられたものだったと気付いてしまう少女。
第3話「愛」では、二人の間に見ていた真実の愛が幻想でしかなかったと気付いてしまう少女(これは「美術部のふたり」的だ。)。
いずれも、少女たちの見ていた幻想、すなわち幼心地の、自分と世界の境界線の引けていない、万能だった頃の世界の喪失が描かれている。
次に、「君のくれるまずい飴」。
ここでも、近しい人は思い通りになる存在のはずだという思い込みや、どうにもならない環境にも抵抗しきれると思い上がる万能感の喪失、つまり自他未分の世界との別れが徹底して描かれる。
のみならず、成長とも呼ばれている変化、すなわち避けようもなく純粋さが失われてしまうことへの絶望、嫌悪も執拗なまでに描かれる。
誰もが大人になるにつれていずれ折り合いを付ける(ピュアな自分は「折れ」てしまうのだ!)生臭いもの、不浄なものへの嫌悪も。
「潮汐力」という、おそらく月のものが来ることを描いたエピソードもある。自分からも生臭いものが出てきたときのショックは想像できっこないが、その不安感がなんとなく伝わってきた。あるいは、先生はこういう体験を経て折り合いを付けたのかもしれない(私は先生の性別すら知らないが)。
物語についての話に徹してしまったが、絵も素晴らしい。繊細なタッチで、少女たちの内面をしっかり絵からも伝えてくる。演出も傑出している。
例えば、「少女の繭」の「愛」では、二人の世界があった頃はアヤメ(ハナショウブかカキツバタかもしれない)の鉢植えが映り込むが、二人だけの世界が幻想だったとわかってしまうラストシーンには野生のアヤメが描かれる。
ここで浅ましくも「百合」というジャンルを「若かりし頃は誰もが持っていた、他者と外部とのゼロに近い距離感への郷愁を起こさせるものなのでは……?」と邪推した私は、勢いこんなことを書いてしまう。
百合学芸員は一旦受け止めつつ、私を優しく諫めてくれるのだった。
「百合という言葉が内包するものはあくまで『女性同士の関係性』というだけの概念でしかないので、君だけの最強の百合を見つけよう」
入口だけ見て(入口がカイコ先生なのは珍しいらしいが)わかった気になってはいけない。
私だけの百合、求めていかなくては。
私の百合は、これからだ!
ここから買うと私は次の本を買ってまたブログを書きます。
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つまり「君のくれるまずい飴」の決済により還元されたポイントで「少女の繭」が買える。