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百合学芸員(ユリキュレーター)の誘い⑥【伊藤計劃・三巷文「ハーモニー」】

これまでの百合学芸員以外とは違う友達が、当ブログを読んでマンガを薦めてくれた。

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持つべき友はオタクって、はっきりわかんだね(淫夢厨へのミラーリング戦術)

「薦められたら読んで書く」がマニフェストである。書くしかない。

原作が早逝の天才小説家・伊藤計劃の作品であることは周知の通り。 私も小説版は読了済み。

このコミカライズを読むにあたっては、作中で印象的に扱われる「紙の本」にこだわりたかった……のだが。

なぜか入手がとても難しく、プレ値とマケプレの送料で計5000円弱を支払うハメになった。

おとなしく電子書籍を買ったほうが財布には良いだろう。

私は両方買った。

 

ここから先はネタバレし放題です。

漫画の引用もあるので、小説をいずれ読むつもりなら閲覧を避けるべし。

読んでしまえばあなたの脳内のトァン達のイメージは受肉できなくなる。あなた自身のイメージを大事にしたほうがいい(持論)。

 あらすじ

助けてWikipedia!

2019年、アメリカ合衆国で発生した暴動をきっかけに、全世界で戦争と未知のウイルスが蔓延した「大災禍(ザ・メイルストロム)」によって従来の政府は瓦解し、新たな統治機構「生府」の下で高度な医療経済社会が築かれた。この社会体制では、そこに参加する人々自身が公共のリソースとみなされ、社会のために健康・幸福であることが義務とされた。「ザ・メイルストロム」から半世紀を経た頃、女子高生の霧慧(きりえ)トァンは、生府の掲げる健康・幸福社会を憎悪する御冷(みひえ)ミァハに共感し、友人の零下堂(れいかどう)キアンと共に自殺を図るが、途中でキアンが生府に密告したため失敗し、ミァハだけが死んでしまう。

13年後、WHO螺旋監察事務局の上級監察官として、生府の監視の行き届いていない辺境や紛争地帯で活動していたトァンは、ニジェールの戦場で生府が禁止する飲酒・喫煙を行っていたことが露見し、日本に送還されてしまう。日本に戻ったトァンはキアンと再会し昼食を共にするが、そこでキアンは「ごめんね、ミァハ」という言葉を残して自殺する。同時刻に世界中で6,582人の人々が一斉に自殺を図る「同時多発自殺事件」が発生しており、螺旋監察事務局が捜査に当たることになった。事件には死んだミァハが関係していると考えたトァンは、ミァハの遺体を引き取った冴紀ケイタの許を訪れた。そこでトァンは、自身の父親である霧慧ヌァザが人間の意志を操作する研究を行っていたことを聞かされ、ヌァザの研究仲間ガブリエル・エーディンがいるバグダッドに向かおうとする。その際トァンは、自殺直前のキアンがミァハと通話していたことを知り、ミァハが死んでいなかったことに驚愕する。

( フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

キャラクター

霧慧トァン(主人公)

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その服で国際公務員は無理でしょ


WHO螺旋監察事務局の上級監察官。

行き過ぎた福祉社会に鬱屈としていた少女時代にミァハと出会い、そのカリスマに心酔する。のちにミァハ、キアンと三人で、栄養の吸収を阻害する薬剤を服用することにより自殺しようとするが、失敗して生き残る。

社会への反感を抱きつつも、ミァハのように善良な市民を装うことで螺旋監察官となり、監視の届かない戦場で酒タバコといった嗜好品(自傷性薬物)を嗜むようになる。

御凍ミァハ

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ゼロ年代を代表する某セカイ系アニメみたいな発言(意図的なパロディ)


トァンとキアンにとってのカリスマ。冷徹なまでの知性を以って現代社会のグロテスクを囁く、二人のイデオローグだった。

(ネタバレ)たった一人自殺をやりおおせた筈だったが生き残っており、WhatchMeの中枢に組み込まれた「ハーモニー」プログラムのコードの大部分に関与した。

(大ネタバレ)実はチェチェンの意識(本作では意識の正体を「欲求同士の競合がもたらす葛藤」と説明される)を持たない少数民族出身で、かつては個としての意識が無かった。そのため、本来中脳で生成される欲求同士の競合を大脳辺縁系でエミュレートしている。

零下堂 キアン

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善良そう!(薄幸そう!)


ミァハのシンパその2。

自殺に失敗してからは善良な市民として生きていた。

(ネタバレ)三人で企んだ自殺を密告したので、トァンにとっては裏切り者であると同時に命の恩人。

(大ネタバレ)現代にて、自分が密告したという事実をトァンに打ち明けた後、ミァハへの贖罪を述べながら食事用ナイフで喉をかき切って自殺。同時刻に大量の自殺者が発生したのを知ったトァンが真相を追う。 

コミュニティの一員である主人公が、悪魔的な技術(それは常に各作品の主題である)を使った陰謀を企てる黒幕を追跡するという、伊藤計劃の三作品に共通する筋立てである。

ほかにもいろいろな人物と用語があるが、作中にはトァンとミァハ二人の関係性以外はほぼ無い(説明放棄)。登場人物が説明マシンや舞台装置になるのも伊藤計劃にはよくあること。

それでこれのどこが百合SFって、まあミァハとトァンの間の巨大感情(「相互の」と言うと語弊があるが……)が一貫しているので百合には違いない。

セカイ系」「SF」はきっと必要だったはずだ。「個と共同体のはざまでの葛藤」を描くためには自意識をこじらせて共同体になじめない人間が必要で、共同体に抗する物語は自然とセカイ系になる。「生政治の極限」を描くためにはSFでなくてはならない。

「百合」は必要ではないのかもしれないが、男女の物語にはなりえなかっただろう。生殖=共同体への貢献を想起させる状況は本作と食い合わせが悪い。

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BLでもいいのだろうが、BLだったらまんま「ファイト・クラブ」の後半だし。

生政治の極限

前述のとおり、作中社会は生政治の極限の様相を呈している。

健康を第一とした福祉が網の目のように張り巡らされる。

いつもバイタルをチェックされ、異常があれば生活を見直され、各家庭に配置されたメディケア(薬品生成デバイス)で病気は未然に防がれる。

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それは優しいが不寛容である。

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そして母親は心配する生き物である

健康第一という規範は成員に内部化されており、健康を害する喫煙や飲酒、カフェインは非難の目に晒される。

誰もが健康であるために。人類が存続するために。

人はリソースである。

不気味なまでに、心の中まで行き渡った共同体意識は、みんなを優しく包み込む。それが三人には気持ち悪い。

自意識への執着 大人(=共同体人間)になりたくない!

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ミァハは反社会的言動を繰り返す。福祉社会の矛盾と嘘をあばき、重くてかさばる本を持ち歩き、脂ぎったトンカツを食べ、自分の体は社会のためのものではなく自分のものだと嘯く。

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トァンは、倫理セッション(学会のようなもの)で、「カフェインの使用制限には例外もあるべき」という父の真っ当な意見が、不健康は悪であるとする「場の総意」に押しつぶされる様子を見たことで、世界への違和感を抱いていた。だからこそ、ミァハの言動に同調した。

キアンの心中はよくわからない。ミァハを中心につながっていても、彼女の内面はトァンの知るところではなかったようだ。

とにかく三者とも、この社会への適応、すなわち大人になることを拒絶していた。

冬虫カイコ先生に関する記事で散々書いたが、「変化を拒む自意識」は、もう大好物である(客観的記述の放棄)。がぶ飲みメロンソーダとか、二郎系ラーメンとかよりよほど好きである。不健全でも食べたい!俺には不摂生する自由がある!

ーー呼吸を整えるーー

体は社会のリソースなのだから、勝手に死ねば社会に一矢報いたことになる。

本作における自殺には社会への反逆の意思が先立っているが、そもそも変化を拒む人間の行動として自殺は自然である

社会は間違っている。

間違った社会に適応してはならない。

されど社会に適応しなくては生きていけない。

だから死ぬ。

美しい論理の流れである。

もっとも、そう綺麗に理想に殉じられない方が百合としてアツい物語として面白い。本作でも、幸か不幸か生き延び、反感を抱いたまま大人を装って生きるトァン、共同体意識にひざを折り、まともな大人になったキアン、大人になることなく、死ぬことで人生を完成させたミァハと、それぞれ命運が分かたれた。

 

核心的ネタバレ!!

 

しかしミァハは死んでいなかった!

ハーモニー・プロジェクト

ミァハの暗躍は、全人類の体内にある医療用ナノマシンに仕込まれたハーモニー・プログラムを発動させるためだ。

発動されれば人類全てが合理的な選択とれるようになり、葛藤が生じえなくなる。

作中での定義に従えば、全人類の意識を消滅させることに他ならない。

ミァハがこれを行うのは、人類が意識を持つがゆえに苦しむから。

世界を憎んでいるからではなく、世界を愛しているから。愛する世界を肯定しうる形に作り替えるためなのだ。

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説明するのも面倒だし読めばいいと思う


イカれているが、論理的には鮮やかである。

そして、その目的を知ったがゆえに、トァンはミァハを許せない。

ミァハが過激な方法で自意識を放棄することで世界を救おうとしても、トァンは自意識にこだわる。

あくまで己の意思のもと、トァンは決断を下す。

この

「先立たれ(たと思い込んでい)て子供時代をひきずる女」

「子供時代をまるきり否定する死んだ筈の女」

って構図がもう尋常じゃなく、尋常じゃない。ただならぬただならなさだ。

是非漫画を読めください

この辺りは小説でも面白くはあるが、個人的には二人の行動原理がピンとこないまま決着して「わかるけどわからん!」となった。しかし漫画だと色々と補完されて、ストンと腑に落ちた。

結末自体も、ビジュアル化されたおかげでわかりやすくなっている。この喪失感は他では味わえない。

何より三巷文先生の絵はうまいし綺麗でかわいい。

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キャラクターが表情豊かなおかげで結末がますます堪える。

コマ割りもハイセンスだ。ほかにも、同レイアウトのコマを使った対比、アニメでおなじみの光と影の演出など、どこに注目してもテクニックを感じる。

補完も絶妙で、伊藤計劃特有の名前がかっこよくて細部の描写も多いが想像しにくい未来的SFガジェットや、抽象的な概念の模式図を見るとコミカライズして良かったと心底思う。追加シーンも超解釈一致なこと請け合い。

ページ中に凝らされた漫画ならではの工夫を体感するためにも、小説を読んでから漫画を読むのがオススメ。

大人になりたくないキミ!

規範を疑ってやまないキミ!

女の子の巨大感情を見たいキミ!

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トリビアと自分語りをするおじさんコーナー

社会と創発、自意識の所在、複雑系について

個体では発現しない特性が、複数個体が集まることで発現することを「創発」と呼ぶ。

シロアリは個体では塚を作らないが、複数集まると巨大な蟻塚を構築することが例として挙げられる。

また、総体としての社会と個人としての人間は、また人間同士も相互に作用している(複雑系である)ので、人間の意思決定がどの変数に由来しているかは特定しにくい。

作中で

重要なのは/報酬系の相互干渉が/フィードバックを伴う/再帰的構造を取る点だ

人間の遺志が/安定せず非合理的で/予測が困難なのは/このためだ

と言及されているのは、まさに複雑系に関する議論である。

脳内の各部位も相互に作用しているため、どの部位によって決定がなされているかは特定できない。にもかかわらず、人間は意思にしたがい理論的に決定して行動しているという物語が信じられているのは、決定した行動をもとに左脳頭頂葉が物語をでっちあげているからと言われている。

とにかく、意識が消滅するだのどうの以前に、はたして人間に(意思決定の主体といわれている)意識というものが存在するかも定かではない。同調圧力や個の主体性の希薄さ、形式主義といった組織の論理にどうしてもなじめない人間がいる。彼らは、成員の多様性を維持して組織の生存可能性を上げるため、無意識のうちに、他ならぬ組織自体の(あるいは、人類のために家族を捨てる……的に、異なる組織の)ために組織に従わない戦略をとっていると考えられなくもない。

「ハーモニー」の完成した世界とは、個体レベルの意思決定も、情動は自分のものである(情動こそが自分である)という信念もなくし、創発にすべてを委ね迷わず決定できる世界のことなのかもしれない。

 

↑こころの認知と複雑系創発についてはこの本に詳しい。

 Dr.林もオススメ!

リンク先の質問は、質問者の心が病院における治療の対象に(=病院化)された以上、「治療前の自分」は病気であり異常だった。だとすれば、精神刺激薬で治療された自分は「治療前の自分」とは別の存在になってしまったのではないか……という不安に端を発し、では自分とは何なのかという考察が書かれている。医療福祉に干渉される自己についての話とまで一般化すると「ハーモニー」と関係していないでもない。

効用曲線・割引について

行動経済学の本に詳しいと思われる。

教科書を一冊読んだが、効用曲線についてはさわり程度の解説だった。難しい。

人間が時間効用曲線を正しく認識できないことについては、心理学のみならずビジネスや博打など様々な本に書いてある。

大脳辺縁系における意識のエミュレーションについて

感情のエミュレーションについてはここに載っていた気がする(共感に対するもので、合理的選択とは関係なかったかもしれない)

また、「ASD者は他者の視線を感知できないがゆえに統一された自己という感覚が無い」「ASD者は定型発達より長い間社会的共感(エンパシー)より同一視的共感(シンパシー)のほうが優位であり、社会的共感を必要としなかった頃への強い郷愁がある」という説も取り上げられている。「もともとは意識を持っておらず、エミュレートによって意識を獲得しており、意識の無い世界に戻りたがっている」ミァハというキャラクターのヒントになった可能性はないだろうか。

たつき監督の体とたつき監督の命について

 このツイートがされた当初、大勢の人が言及していた。

「体に気を付けて!」「寝よう!」に終始する発言からは素朴な優しさを感じたが、一部ハーモニーみがある言及もあった。

「人間生きていてこそ!」→たつき監督がそう思っているとは限らない

「真似して寿命を縮めるやつが出るからやめて!」→真似する奴の責任

「休まなきゃいい創作はできない」→一般論がたつき監督に当てはまるとは限らない

と、その手の発言には強烈な反発を覚えた。たつき監督の命はたつき監督の好きに処分していいと思う(≠命は大切ではない。また、命を好きに処分していいという思想を一般化するといずれ命の選別につながる。あくまで「たつき監督の」命に関する私の考えである)し、命を懸けるほど好きなものがあるのは私としては羨ましいくらいだ。親切なつもりのこいつらは一体何目線なんだ? 命より大切なもののある人間に嫉妬しているだけでは? などと勘ぐって気持ち悪く思った(一人合点)。

死ぬ覚悟で創作に打ち込んで死ぬなら本望だろう。もっとも、まだ作りたいものがたくさんあるのに死んでしまったら無念に違いない。覚悟や計画の有無の問題である。

 

漫画のオススメは引き続き募集中。

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