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読ませられる記事を目指します。

犀【7/23】「メジャー化」への言及

得体の知れない(私は知っている)ブログの一節に言及する。

だいたい今20代までくらいの世代には、共通してオタク趣味に関する暗い思い出があるだろう。学校でライトノベルを読む、アニソンを流す、オタク趣味を開陳する、そうした行為に対して冷たい目が向けられたこと、あるいは向けられたのを目にしたことが、一度はあるだろう。それが今や、世界の大祭典でマンガ表現やゲーム音楽が取り上げられている。世界に誇るニッポンのカルチャーというわけだ。オタク趣味は市民権を得た。こんなにうれしいことはない……
なんとなく上記のような言説がTLを駆け抜けていくのを見たが、こういう話を見るたびに不思議に思う。自分の趣味に市民権があるかどうかって、そんなに大事だろうか? 趣味は自分と愛好家の間でしか楽しめないものだし、誰にでも開示する必要は一切ない。人に趣味を言いたいのなら人に言える趣味を作ればいいのだし、他に趣味を持てないほど没頭しているのならそもそも興味を持たない人に趣味を言う必要はない。
趣味に自己の承認を見出している、というのも納得できない気がする。マンガ好きの人からセンスを褒められる、とかならわかるが、マスメディアが「今、マンガ好きが増えています」と喧伝したところで嬉しいもんだろうか。マンガやゲームという括りはアイデンティティとするにはあまりに大雑把すぎる気がする。パイが増えて喜ぶ漫画関係者とかならともかく、一般オタクには関係のない話だろう。
こうまで長々書いたのは、単純にわからないという気持ち以上に、「そんなちょろまかしで手のひら返すなや」という怒りが含まれていたことによるのだが……しかし気にはなる。どうなんですかね。

オタク趣味の市民権

引用冒頭のような暗い過去については覚えがある。細かいエピソードは忘れたが、たしか中学校時代に感じた「どうして野球ばかりやってるアイツはモテるし人気者なのに、遊戯王ばかりやってる俺はモテないどころか女子に嫌われるんだろう?」という疑問が発端だった。こじれにこじれて最終的には「野球は良くて遊戯王はダメなんて差別では?」という被害者意識にすりかわっていた。 

自分にもそういう時期があったから、ツイ主が不当に差別されていると感じたこと、その痛みを引き摺っていることには同情しないでもない。それに、他人の趣味を露骨に軽蔑したり、不快感をあらわにしたりするのは良くないと思う。された側はこうして長いこと苦しむわけだから、子供だからと許していいものでもないのかもしれない。

それはさておき、オタク趣味が世間のものさしで評価されるようになったのを喜ぶのことには違和感を覚える。

原因は思うに

  • 差別された理由を未だに勘違いしている
  • 趣味に上下は無いという言説を勘違いしている
  • 学校のものさしを後生大事に抱えている

こういう点なのではないかと思う。

オタク趣味の差別に関する勘違い

ところで、オタク趣味は本当に差別されていのただろうか?もっと言うなら、オタク趣味は不当に差別されていたのだろうか?

少なくとも、私に関しては不当ではなかった。

野球が良くて遊戯王がダメなのは当時こそ差別に感じたが、今では全く思わない。

差別された原因は遊戯王ではなく私にあったことに気付いたからである。

高校、大学と進んでも、遊戯王をやっている友人は未だに居た。高校あたりこそ「遊戯王はキモいが俺はやめられない、でも俺はおかしくない、遊戯王を差別する世界が間違っているんだ」と屈折した感情を持っていたが、大学に入ってから段々と「俺、別に遊戯王やっててもいいんじゃないか?」と思えるようになった。遊戯王をやっている奴は想像以上にたくさん居るとわかった。遊戯王のおかげで友達はたくさんできたし、何より遊戯王をするのは楽しかった。遊戯王を悪く考えることは減っていった。

しかし引きずっている問題はある。

モテない

モテたいと思ったわけではない。が、恋人はできない。異性の友達……という程の仲ではないが、話せる異性なら居た。ゼミとか、授業のグループワークで一緒だった子とか……。しかし彼女はできない!

私に彼女が居ないにもかかわらず、中学高校でオタクだった友達や、今でもオタクの友達の中にはちゃんと彼女ができている奴もいる。おかしいぞ!なんでアイツだけ!

とはならない。不思議でもなんでもなくて、異性に興味があるのに何のアプローチもかけていないのだから当然である。

それならと一念発起して、当時の友達や高校時代関わりのあった相手など、話せる女の子を食事に誘ってみた。驚いたことに食事には行けた。なんなら何回か行ける。何回か、食事には。その先は無い。スマートに誘い、スムーズに切れる。それが何人か続く。

ここに至って「どうして……」などと不可思議を覚えるようなことは全くなかった。

何を隠そう、自分の話すことが死ぬほどつまらないことは自分でも分かったからだ!

何かがおかしい。男友達からは概ね面白いヤツと思われていた自覚がある。所属するコミュニティではいつもムードメーカーだった。飲み会でもよく盛り上げていた。手応えがあった。

じゃあ何でうまくいかないのか?

答えはおそらく単純で、一般的女性と話せるネタが殆ど無かったからだ。

大学でしていたのはなけなしの勉強と連日の遊戯王。家では文学鑑賞と深夜アニメ消化。それから筋トレと銭湯めぐり、美術館めぐり、飲酒。

インドア中心だが、やりようによっては面白く話すこともできただろう。しかし私は話を面白くするための訓練や勉強など一切していない。積極的に女の子と話し、経験を積んできたわけでも無い。これでは話が面白くなるわけもない。独り合点かもしれないが、そう納得した。

一般的な女子大生ではなく、文学少女や女性デュエリストが相手なら盛り上がれたかもしれないが、そういった層と交流する努力をしていたわけでもなかったから、こうなるのは徹頭徹尾当然でしかない。

遊戯王(=オタク趣味)は悪いもんじゃないと自分の中で評価が好転してきたところで、自分はオタク趣味がバレなくとも女の子と楽しく話せない人間だという事実を叩きつけられて至る一つの結論。

「オタク趣味じゃなくて俺が悪かったのでは?」

思い返してみれば、女の子には遊戯王の話をしないという配慮は、大学に入るころにはいつの間にか身についていた。同じだけの配慮を中学校でもできていれば、肩身が狭くなるようなことも無かったんじゃないだろうか?

いや我慢しなきゃならないのが差別だろ!では何だ、女の子に遊戯王の話をできない世界はおかしいのか?

そんなことはないだろう。多分女の子になんでも話せる世界の方がおかしい。なんなら異性に限らず、オタク趣味の話に限らず、話していて相手が興味を示していないなら話題を変えるべきだ。当然である。

自分の関心のある全てについて話せる、気心知れた相手も居る。しかしそれは、自分自身に興味を持ってくれるくらい仲良くなれた稀有な例だ。

そういう相手が居るのはとても嬉しい。でも、この世の全ての人間とそういう関係になりたいわけじゃない。この世の全ての人間と遊戯王の話がしたい訳でもない。

私が人気者になれなかったのは、話題を選ぶ柔軟さが無かったからだ。野球部員でも、誰かれ構わず野球の話しかしないならただのウザい野球野郎だろう。

 

この気付きを得て彼女ができたか、といえば残念ながらそんなことはない。オタクしぐさが完全に消えた訳でも無い。今でも油断したらトリビアを開陳するし、気を抜くと話し続けてしまう。以前ほどではなくなったと思いたいが。

自虐ネタ・自分語りが多くなったが許して欲しい。こんなところでくらい、おじさんに自分語りさせてくれてもいいじゃないか。こんな話滅多に聞いてもらえないし。

 

趣味に上下は無いのか

さて、オタク趣味の市民権の話をするときは、

「(趣味は平等であるべきだが、実際には)オタク趣味は差別されている」

という文脈のことが殆どだと思っている。

例として

「小説は知的でラノベはキモいなんておかしい!芸術に上下なんて無いだろ!差別だ!」

いきり立ったオタクがこんなツイートをしたとする。これについて少し考えてみよう。(例がおかしかったらご指摘頂きたい)

小説は知的でラノベはキモいのか

「小説は知的でラノベはキモい」と口に出している人がいるとしたら、きっと小説をあまり読んでいない人だ。

まず小説は知的とは限らない。

私は田山花袋の「蒲団」が結構好きだ。

これは既婚者の中年小説家の先生が、下宿してきた19歳文筆家志望の女学生に対する劣情と世間体の間でムラムライライラする話だ。先生はだいぶチキンなかなか人格者で、2人きりでいい感じになっても踏みとどまるなど雑魚立派だ。しかし女学生は、勉強のためというタテマエで先生が恋愛禁止を言いつけていたにもかかわらず、いつのまにやら男子学生と恋愛をしていたことが判明。詰問してみたら旅行先でしっぽりやって処女喪失していたことがわかり、先生は逆ギレして下宿から追い出す。彼女が居なくなってから、「あの時ヤっとけば……」とさめざめ泣きながら貸していた布団をクンカクンカするーーという、ありえないほど情けない話だ。私は共感せずにはいられない。

こんなものは氷山の一角で、古典的名作であっても、見ようによっては悪趣味な・キモいものが結構ある。小説が知的と言う人は表紙を見たイメージで言っているだけで、実はそんなに小説を読んでいないのではなかろうか。ラノベを「キモい」と言うのも、表紙がアニメっぽいからそう言っているのだと考えれば説明がつく。

物書きのくせに小説が上でラノベが下と言う人もいるが、それは単なる好き嫌いの表明としか思えない。小説とラノベの上下を説明する正当なロジックがあるならぜひご教授願いたい。趣味に上下の別を作ろうとする手合いは感覚でジャッジして後からそれっぽく理論武装しているだけのことが多い。

とはいえそれが偏見であるのは事実だ。徒党を組んでクソリプを送って謝罪させれば溜飲が下がるかもしれない。しかしそれは、「暴力を数の論理で正当化する」ことに他ならないので、オタクに暗い記憶を抱えさせるいじめや差別と大して変わらない。

何より、ラノベの良さが理解できない人、ラノベを誤解している人が居たところで、自分がそれを好きだという気持ちに何の影響も無いのではないだろうか?

私は「蒲団」を好きになれない人も居ると思う。蛇蝎の如く嫌う人や、好きな奴は変態に違いないと決めてかかる人すら居るかもしれない。

なのでわざわざ自分から紹介したりはしないが、それでも結構好きだという事実は変わらない。それで十分だし、わざわざ矯正して回る必要は無いのではないだろうか。「蒲団」で盛り上がれる世界なんて永遠に来なくていい。でも19歳女学生に「『蒲団』いいですよね!」と話しかけられたらコロッと……いかない。だいぶ怖い。

ところで、私は「キモい」という言葉を軽率に使う人が嫌いだ。キモいと言う人は、自分の感覚や固定観念が多数者側と同一であると信じきっている、常識を疑う習慣の無い人だと思っている。頭が固いと自己紹介してくれている訳だから、こちらが頭の固い人向けにレベルを合わせて話してあげれば揉めずに済むし、最初から関わるのを避けることだってできる。語彙力が無いだけで案外良い人かもしれない。そもそも語彙力も所詮は知性の一側面にすぎず(以下略)

芸術に上下なんて無いのか

無い。まず何をもって上等として何をもって下等とするのかが分からない。この手の主張に筋が通っていることは滅多にないので、上下をつけようとする人に耳を貸す必要がない。反論する必要もない。

そして、私が(おそらく「犀」の筆者も)違和感を覚えるのは、躍起になって反論するオタクに対してなのである。

繰り返すが、他人がなんと言おうと、自分の好きという気持ちに何ら影響は無い筈だ。

なのになぜ、自ら大事な趣味にものさしを当てようとするのだろう?

しかもその目盛りは、市場規模がいくらとか、テレビに出たとか、何部売れたとかいう、誰にでもわかる下らないものばかりだ。

たしかに学校では多数派じゃなきゃ肩身が狭かった。しかし、枠から自由になったのに、どうして未だに多数者を見返すチャンスを伺っているのだろうか?

暗い「思い出」と言える歳になってもまだ、「あいつらにからかわれるかもしれない」という不安に怯えながら生きているのだろうか?

20代になってもまだ、学校でオタク趣味の話ができなかったことに未練があるのだろうか?

市民権だのなんだのと言って、他者の、多数の承認を求めてしまうのは、まだ「多数者に認められない趣味は下」というものさしで趣味の価値を測っているからではないのか?

芸術に上下を作っているのは、多数者による承認を求めているその人自身だ。

心のどこかでオタク趣味を一般の趣味より下に格付けながら、それを己のアイデンティティと結びつけて執着し、たまたま日の目を見たら「報われた」などと感じるのか。全く意味がわからない。彼らの執着は、オタク趣味が日の目を見ることにいかに寄与したというのか。

承認されるのが価値だと思っている人の行為としては、Twitterでオタク論を語りながらゲームをするという週末の過ごし方はまるっきりおかしい。承認を求めるなら、ゴルフセットを買い、上司とゴルフに行く方がまだ一貫性があるだろう。

あの日の自分は自分で救え

要は「『オタクを見直してくれ』と世間に求めるのはやめて、自分軸で生きようよ」という話だ。

とはいえ、今現在学校に通っていて、オタク趣味がバレて肩身の狭い人は鬱屈としているだろう。開き直るのは難しいと思う。辛いと思う。気持ちはわかる。

私だって長いこと恨みを抱えていた。否、過去形にすべきではないのかもしれない。自分の「好き」を否定された(と思いながら過ごしていた)経験が、今まで続く主体性に欠ける生き方の原因になっているのではないか、とさえ思わないでもないからだ。

もちろん今だって完璧に自分軸で生きられている訳ではない。

大学を出てしまった今、女友達はもはや全く居ない。

オタクの友達もどんどん結婚し始めた。裏切り者め。これは耳寄り情報だが、マッチングアプリを使ったオタクはほぼ全員オタク女と出会えている。人生捨てたもんじゃ無いかもしれないぞ!

が、今は他者に自分の価値観を明け渡すほど空虚でもないので、特に焦ることでもないと思えている。

自分軸に生きる、自分の「好き」を大切にするというのはあくまで私の理想だ。創作の手は止まっている。ようやく書いたブログだって、他人の制作したコンテンツや遠い出来事に関する視線の捌き方を見せているだけで、主体性の無さはそのままじゃないかと自己嫌悪する時だってある。

でも書いていて楽しかった。これは言うまでもなく個人的なことだが、しかしそれゆえに揺るぎないことだ。これこそがずっと求めてきた主体的な体験だと思う。それに、読まれるかわからない記事をノリノリで書いている自分は自分基準では結構カッコ良い。

何がカッコ良いか分からないと思うので「月と六ペンス」を是非読んで欲しい。「好き」など無い虚無オタクにとっては人生の転機になるかもしれない。読んで以来、私は「狂気=理解を求めない内発的動機」を持つ人に憧れている。風見幽香ばかり10年間描き続けている絵師時津風アーボック石油王が、かなり月に近い存在だと思っている。

脱線に脱線を重ねた。

とにかく、「自分の好きなものを多数者に認めてもらおう」と考えているうちは、趣味を否定されたオタク少年は成仏できない。

芸術が大勢に認められて嬉しいと感じるなら、まだ自分の「好き」は蔑ろにされたままだ。

ものさしを捨てて、自分の中の傷付いたオタク少年に優しくしてあげてはどうだろうか。

「理由なんていらない。みんなが認めてくれなくてもいい。誰がなんと言おうと、君は君の好きな物を好きで居ていいんだ」と。

 

 

世の中には、インナーオタク少年を手ずから殺すことで現実に適応し、現実のオタクを虐めることで自分がオタクでないと証明し続けなくてはならなくなったゾンビ大人もいる。「まだ○○やってんの?キモ」とわざわざ言う人なんかがそうだ。彼らは納得いかないまま親や世間に○○卒業を強いられ、不満をくすぶらせながらも、納得いかない規範を無批判に内在化させるしか無かった人々だ。こうなると「世間の目が怖い」「好きなものを好きでいられる奴が妬ましい」以外に行動原理が無い。

なけなしでも自分の「好き」が残っているなら、そうなるよりは幸せではないだろうか。

生きてますが

生きてます。

次は三巷文先生の「ハーモニー』なんですが、電子版を買うタイミングを逃してそのまま別のこと(ほかの趣味とか勉強とか)に興味が移っていました。

なんかボサッとしてる間に冬虫カイコ先生の新作出てましたね。はやく読まないと。

 

不治の病なので(ミュンヒハウゼン症候群)、また入院しました。

談話室で勉強していると色々な年長者が話しかけてくれます。女の人は、身の上話はそこそこに当たり障りのない励まし方をしてくれるので嬉しいです。一方、男の人らも励ましてくれるつもりなのでしょうが、「人付き合いが一番」「やっぱ健康第一だよ」てな感じで話の端々に価値判断を交えてきたり、私も知ってることをドヤ顔で話して来たりするので、あんまり楽しくないことが多いですね。一応言っておくと、私は熟女マニアではありません。

これは仮説なのですが、タテ社会の序列に頼ったオスのコミュニケーションが、序列のない裸一貫の人間としてのコミュニケーションスキルの欠如を生み出しているのではないでしょうか。

私みたいな若者に訓話をしてしまうのも、弱さを曝け出す術も受け入れる術も身につかないまま老いて弱くなっていってしまった男たちが、深い孤独を感じているからなのかも……なんて、邪推をいろいろしています。

サンプルが偏っているだけかもしれませんが。

 

とにかく、次の記事はいい加減書きたいですね。

まだこのサイトのブクマは外さないで下さい〜。

【冬虫カイコ先生】帰郷 「私は違う」という自意識のしんどさ

冬虫カイコ先生の読み切り漫画がめちゃ良かったです。

lin.ee

クソ田舎の閉塞感、己のクソ加減に無自覚なクソ親族が見事に描かれている。

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一枚めくったら即クソ田舎

以前書いたのと同様、「いやなものからは逃げ切れる」「二人は同じものを見ている」という幻想が打ち砕かれる。

とにかく今回も傑作なので、リンク先から読んで欲しい。

lin.ee

生々しい① 法事

私はそこそこ便利なそこそこの住宅地出身で主人公たちの境遇とはほぼ接点がないはずなのだが、このクソ田舎描写に妙な生々しさを感じた。

それはやはり、法事とかいうスーパー茶番イベントが舞台になっているからだろう。

法事の際は女衆がお茶汲み、お酌、食事の片づけをする。なんとも不思議である。不思議に思わないあなたはパターナリズムか奴隷根性が染みついている。

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私が中学生のときに出席した法事もそうだった。法事でしか会わないおばちゃんやら母やらが、誰に言われるでもなく、まるで最初からそう決められていたかのように雑用をする(一つ上の従姉はやっていなかった。クソ田舎じゃないからだろうか)。

なぜ年少者の自分じゃないのか? お茶やお皿をひっくり返したら危ないからだとしたら、なぜ男衆はごろごろしているのか? 不思議に思って母の手伝いをしたら止められた。「そういうものだから」らしい。

法事というイベントでは、女は女というだけでそういった役割を果たすことを期待される。もし女の中の一人が「私がやる道理なんてない」などと言って無視すれば、「〇〇の嫁は気が利かない」と謗られる(気の利かない女に文句を言っていたのは女だった気もする)。

女子だからと貼られるレッテル。「お前もいずれ嫁に行ってこれをするのだ」という期待。そういった息苦しいあれこれが、最も見えやすい形で現れるのが法事なのだろう。知らんけど(女じゃないので)。

生々しい② 文句言いながらも諦念

美幸がエリートコース(というか、大卒のテンプレ)の人生を送る一方、万喜は地元にからめとられてしまったかのように描かれる。

二人のすれ違うきっかけは、別々の高校に進学したことだった。美幸は普通科と思しき「山高」に、万喜は商業高校であろう「山商」に進学する。

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万喜は進学の理由をこう説明するが、成績が足りなかったし勉強する気もなかったのをこうして正当化しているだけなのかもしれない。わかりっこないが。

とにかく、役割への反発でつながっていた二人がお互いを違うものと明確に認識してしまったせいで、二人の関係は破綻してしまう。

ここまでの表情やコマ割り、台詞から、万喜には将来のビジョンなどないことがわかる。本気で外に行く気が無いものと察した美幸が失望するのもむべなるかな。

現状を嫌だと言いつつ昨日と同じことをしている友達、当たり前の生き方をつまらんと言いながら当たり前のことしかしていない友達に感じる苛立ちが再生された。

生々しい③ ワールドオブお気持ち

作中3回目の法事、万喜の法事では、いつ地元に戻るのかと問われ「私は帰らない」と答えた美幸がなぜか謝らせられる。

謝罪シーンの前後数ページにある親戚の言葉には一切の具体性がない。「人間として大事なこと」「生まれた土地のありがたさ」とは何なのだろうか? それらはきっと、群れの意識との一体感を味わえるタイプの人間にしかわからないものなのだろう。

 

まるで学級会のような壮絶な茶番。しかし美幸は謝る。自分を出すことより従うことにメリットがあるという冷静な判断があったかは定かではないが、子供のまま死ねた万喜と違い、美幸はそういうことのできる大人になったのだ。

「私は違う」という自意識のしんどさ

親戚という集合意識に一体化できない、群れの成員になれない主人公の自意識にはとてつもなく共感してしまう。

学校、部活、会社……集団ならなんでも感じる、みんなそこの空気感や総意に操られているようで、誰も自分自身で感じたり考えたりしていないように思えるあの疎外感。「私は違う」と言うことを許さず、「私は違う」という自意識を抑圧し続けるあの空気を吸い続けることで覚える不快感。「私は違う」と表明してしまうせいで破局してしまう友情。

「私は違う」という自意識のしんどさが、短い読み切りに凝縮されているようだった。

 

以前書いたブログ。先生の他作品のレビュー(?)です。

kadzuma.hatenablog.com

とりあえずどっちも読んでください。ここから買ってくれると次の本が買えます。

DMMが50%ポイント還元セールやってます(~8/26)

つまり「君のくれるまずい飴」の決済により還元されたポイントで「少女の繭」が買える。

 

al.dmm.com

al.dmm.com

百合学芸員(ユリキュレーター)の誘い⑤【横槍メンゴ先生「狼になりたい」】

④と同時に薦められた漫画がこちら。

shonenjumpplus.com

あらすじ

主人公は扉にも描かれている顔のいい女・実千果。

婚活パーティーでも若い、かわいいと言われるし、本人もそれを自覚している。

街ではちっちゃくてかわいいとナンパされ、女の同僚には実千果みたいなタイプが一番モテる、いつも男に守ってもらえてうらやましいと小言を言われ、男の同僚にはおまえに営業はムリだろ、事務にしとけと言われる。

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フツウでも素朴でもない、振り返らずにはいられない可愛さだが、それは漫画的なデフォルメの結果なのだろう

似合わないからと、タバコだって一人の時しか吸わない。

その実、彼女は見た目で決めつけられることを息苦しく感じている

そんな彼女の憧れは、スター歌手のSAKAKI。

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場面は変わって十年前の回想。

田舎で、おじさんと実千果が話している。

当時の彼女はあてどなく続く日常に価値を見出せず、自分は相応しいものには出会えずに死んでいくのだろうと絶望している。

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自意識!!

おっ。友達もレベルが低いと決めつける。私の好きなタイプの自意識だ。

おじさんには、みんな思い上がりや孤独感を君のように表に出さないだけだと窘められるが、実千果は「私は自分を価値あるものだと思ってるわけじゃない」と否定する。

なぜなら人間には圧倒的な優劣がある、才能を持つ者持たざる者、たとえばSAKAKIと自分のように、と。

彼女と会ってみたいと思わないかと聞かれても、「一生私なんか目にも入らない場所にいて欲しい」と。

現実に戻り、タバコをふかしながら実千果は考える。SAKAKIは自分の持っていない全てを持っている。才能だけじゃない。その器に相応しい顔、スタイル、プロフィール。対する自分には表現したいことも湧き上がる思いも情熱もない。

と、場面は唐突にオーディション会場へ。目の前にはあのSAKAKIが。

いきなりオーディション受験動機を聞かれ、

「わからない、暇で」

と答える。

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「自分の未熟さばかりが浮き彫りになってツライでしょう」

愕然として、実千果は目を覚ます。夢だったのだ。

実千果は10年間何度のこの夢を見ている。この10年でSAKAKIは不動の地位を手に入れた。

群衆はSAKAKIを称賛し、一般人である自分とスターであるSAKAKIは違うと言う。

一方の実千果は、その十年で心境が変わり、むしろSAKAKIに会いたいと思うようになっていた。

おじさんは「歳を重ねる度『自分は選ばれてない』って解っていくんだ」と言っていたが、実千果は止まれなかった。

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髪を切って、小動物系からは決別したように見える実千果。

その先は、SAKAKIの独白。

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流されるままの実千果

短い読み切りの中で、実千果への印象はめまぐるしく変わる。

外見に自己を規定される実千果は、生きづらそうで同情しそうになる。

だが小動物かというとそうでもない。

回想場面では、何も行動していないくせに周囲を見下す、尊大な自意識がむき出しになっている。

「あの頃はトガってた」と述懐こそするものの、自分で選択して行動することは今だってしていない。

口では自分に合った生き方を選んでいると言っているが、そこに主体性はない。

徹頭徹尾、主体的に選択をせず、後知恵で合理化しているだけである。

達観しているようで、そのくせ価値観だけは強固で、意思表示もしなければ人の話を聞こうともしない。まるで自我の無い姿勢は、若々しいというよりは年甲斐が無いように見える。

くそみそに言っているようだが、バカにすることができない人もいるだろう。私もそうだ。

成績がそこそこよかったからいい学校に行って、働かないと生きていけないから就活をして、内定が出たから会社に通う。私もそういう主体性の無い生き方をしていて、どこか無気力にただその事実を受け止めている。若かりし頃(トガってた頃)の自分なら唾棄するような人間だ。

実千果の主体性のなさ、リアルな後期青年っぷりは、むしろ身につまされるようである。

おじさん

おじさんの言っていることは、自分の身の丈を知って生きろという警句に思った。

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しかし、百合学芸員の言う通り、おじさんもまた立派な大人ではない。

実千果よりほんの少し自己欺瞞がうまいだけで、皮一枚剥がせば深い虚無をたたえているのであろう。

おじさんのような器用な人間になるのが良いのか? その答えは用意されていない。

SAKAKI

SAKAKIは、全てを与えられ、ゆるぎない理想を持って自ら道を切り開いている(少なくとも、実千果からはそう見えている)存在として描かれる。

だがそれも、実千果はSAKAKIに才能があるからだと言っているが、本当のところは分からない。

この作品は徹底した一人称視点で、モノローグも実千果の視点で書かれているからだ。ただ一か所、SAKAKIの独白の部分は定点カメラで撮影したようで、実千果視点の映像なのか読者のために提示された場面なのかはわかりにくく、実千果にとってクリティカルなこの発言を本人が知っていたかは確実には分からない。

実千果は変わったのか

さて、何があったのか実千果は最後にオーディションを受けている。

実千果にいかなる心境の変化があったのか。どんな経験に背中を押されたのか。それは描かれない。

読者に分かるのは、実千果が無謀とも思えるこの決断をしたことだけだ。

私としては、実千果の発言は一貫してあまりにも世間知らずだし、SAKAKIのキャラや作品に憧れる彼女の精神性はSAKAKIの独白で明確に批判されているので、望ましい結果は待っていないように思える。

SAKAKIに会うという目的を果たしてしまった彼女に、その先の未来が描けるのかもわからない。

しかし、これは彼女にとって紛れもないハッピーエンドではないだろうか。

彼女はこれまで選択を他人に任せ、当事者性を持たず流されるままに生きつつ、自分の正しさを疑うこともしてこなかったのだろう。

だが、ようやく彼女は自分の意思で選択し、行動したのだ。

今後実千果が強固な自我を手に入れるかはわからないが、少なくとも他人に勝手に持たれるイメージに流されるままに生きることは無くなるのではなかろうか。

関係性

本作にある関係性は、SAKAKIのイメージ(本人の言う排泄物)に対する実千果の憧れであり、ひたすらに一方的だった。

とはいえ女同士の話だし、百合学芸員に薦められたし、百合ということでいいか。

退屈と決断

さて、作中には閉塞感と倦怠感が満ちており「退屈」「暇つぶし」という言葉が何度も出てくる。

退屈は可能性と表裏一体であり、退屈できるということは自由であることの証左でもある。実千果の少女時代にただただ退屈な時間が過ぎてしまったのは、実千果が与えられている自由を何一つ活用しようとせず(諦観するだけで何も行動していない)、暇つぶし(本も映画も音楽も「暇つぶし」と豪語している)で時間を使いつくし、(顔がいいならそうしろと)勧められるがままに生きてきたせいであるといえる。

最後の最後に、実千果は無謀極まる決断をし、自分の人生を選び取ろうとする。

実千果の決断は(練習もプロを目指しているとは思えない内容で、SAKAKIの独白も彼女のような主体性の無い人間への批判であることからしてわざと過剰なまでに)無謀であり、手放しに称賛できない演出をもって描かれている。

とはいえ、誰しも何か大きな決断をし、人生を変えようとするときは彼女のようになるのではないだろうか?

決断の瞬間とは一つの狂気であるという、キルケゴールの言葉がある。

あらゆる決断は、他のあらゆる可能性と自由を捨て、自らを決断の奴隷にするという狂気によってなされているという。横槍メンゴ先生はこれを知っていたのではないだろうか(オーディションのシーンでは、狂気のモチーフである月が印象的に描かれる。猛獣から連想したのかもしれないが)。

退屈しているのであれば、実千果のように決断するしかない。

彼女のように勢いに任せるか、あるいは周到に準備をするか、はたまたおじさんのように器用に現状を受け入れるか、あなたは選べる。

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暇と退屈についてはこの本を思い出しながら書いてます。

 

 

おまけ

今回の百合学芸員とのやりとり(オタク100%)を付けておきます。

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百合学芸員(ユリキュレーター)の誘い④【松本陽介先生「その淑女は偶像となる」】

百合学芸員再び

ネタに困っていたまさにその時百合学芸員がオススメしてくれた。

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常時発狂って狂人じゃん

というわけで第4弾は松本陽介先生の「その少女は偶像となる」

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あらすじ

主人公・姫宮桜子は男性アイドルを追っかけるオタクという本性を隠して、お嬢様学校でお嬢様然と振る舞っている。

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いかにもって感じだな

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いかにもって感じだな

「偽お嬢様」というキャラクターも大分一般的になってきた気がする。

閑話休題。そうしてお嬢様学校で悪目立ちしないよう、学校のブランドに違わぬお嬢様を演じ、ご学友にも表面上慕われている桜子。

しかしお嬢様キャラを維持するために学校ではトイレでしか休むことはできない。しかも生来の美貌も相まっていわれのない嫉妬をされ、体操服を隠そうと目論んでいるのを聞いてしまう。当の桜子は「体操服もう一着買っておくか」と、お嬢様とはかけ離れたしたたかさ。

周囲を欺きおおせている自覚があるからこそ、自分を慕う人のことも妬む人のことも見下してしまう。

そうして自分を隠してまで桜子が守ってきた日常は、ひとりの転校生によって崩れ去ることになる。

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若菜あるみ(本名なのか?)はフリーのアイドルだという。それだけなら大型転校生で済んだのだが。

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桜子の本性以上の秘密を知っていたのだった。

それは幼少期、彼女自身もまたアイドルをしていたということ。

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そもそも桜子は、アイドルであった過去に触れられたくなかったからお嬢様学校に来たのであった。しかしあるみは、桜子の都合などお構いなしにアイドルに勧誘を始める。

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これ以降あるみは、事あるごとに、学内ところかまわず、桜子をアイドルに誘う。

 ゴミ箱に捨てられた桜子の体操服をレスキューし、なおも桜子を誘うあるみ。

感謝する桜子だが、「私はアイドルやらないよ」と拒絶。その理由を語りだす。

 

4歳の頃から「アイドル姫宮桜子」として生きて来た桜子は、子供(わがまま)を捨て、望まれるままのアイドルとして振る舞っていた。

そんなある日、母が交通事故に遭って亡くなってしまう。翌日の生放送の収録は無理だろうと番組スタッフがうろたえる中、桜子は番組に出演することを申し出る。

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無理をしているに違いないと、スタッフたちが励まさねばと意気込む中ーー

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桜子はカンペキな笑顔を振りまく。スタッフも共演者もドン引きする中、桜子は大いにファンを沸かせた。

そして後日、母の死をすっぱ抜かれ、メディアは桜子が心を持たないロボットだなどとセンセーショナルに扱う。

一連の経験から、桜子は自分が狂っていることを悟ってしまった。そして、母が死んでも笑える自分が怖くなってしまった。

「今じゃ口を隠さないと、人前で『笑うフリ』すらできないボンクラ」「それが『私』よ」と自嘲する桜子。

しかしあるみは、「桜子ちゃんは」「お母さんが亡くなって悲しくなかったの?」と問いかける。当然桜子は「悲しかったに決まってるでしょ」と思い切り否定する。

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あるみは、それは桜子がお客さんを笑顔にしたかったからだろうと、どんなショックがあってもファンに笑顔を振りまく姿は誰よりも人間らしいしカッコイイと、桜子自身が否定してしまったあり方を称賛する。

あるみが明日の夏祭りに桜子を誘ってこのシーンは終了。

口では行くわけないと断る桜子だが、体操服を返すのにかこつけて見に行く(ツンデレ)。

バックヤードに回り込んであるみに体操服を返すと、出演者のドタキャンでトリが空いてしまったとスタッフが困っている模様。

あるみは出番が終わって息も上がって汗だくにもかかわらず、なんとトリの代打を買って出る。

インターバルが入るまで全力で歌いきったあるみを、桜子は「体力だけは一流ね」と評する。

しかし。

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バックヤードでは息も絶え絶えのあるみ。

彼女は客に辛そうなところを見せまいと我慢していたのだ。

その様子に、かつての自分自身を見た桜子は問いかける。

「誰もアンタの頑張りなんか気づいてくれないのにッ…なんでッ…そこまでしてアイドルやってんのよ…!」

あるみは答える。

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桜子はこの言葉で、かつてお客を皆笑顔にすると息巻いていた頃の自分を重ね、お客を笑顔に出来た瞬間が一番好きだったことを思い出す。

それから桜子があるみに代わってステージに立ち、会場を沸かせ、あるみとユニットを組んでトップアイドルを目指すことを宣言して完!

ここまで絵が圧巻なので各自漫画を読んでください。

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ネタバレもへったくれもないであろう。もとよりこのオチ以外で納得いくわけがない。

では解釈しつつ推すといういつもの儀式をやることにする。

ポリフォニックな桜子

熱いストーリーもかわいい絵もいいが、私としてはこの作品の妙はやはり、何層にも分かれる桜子の内面だと考える。

桜子は、作中では最初に理想のお嬢様かつドルオタという二面性が提示される。

お嬢様桜子は静かに過ごすための仮面で、ドルオタ桜子は周囲を欺き見下している。

後にわかることだが、こうしてお嬢様を演じている間も桜子はドルオタとしての本性にとどまらない「本当の秘密」を隠そうとしていて、見下しつつも真の自分を知られるのを恐れているという複雑な状況だ。

しかも、桜子がドルオタという事実を隠して周囲の望み通りのお嬢様を演じているのは、目立たないために仕方なくである。もっとも、桜子がドルオタではいけないというのも桜子の一人合点なのだが。

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ここにあるみが現れることで状況が一変する。

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あるみは最初から桜子最大の秘密、かつてアイドルであったことを知っていた。ゆえに桜子には自分を演出する隙など与えられない。だからこそ、あるみ相手には優越感を味わうこともできず、素の自分に戻らざるを得なくなる。

その後、なぜアイドルであったことをひた隠しにし、アイドルに戻ることを断固拒否するのか語る桜子。桜子は母の死の一件から、アイドルに徹することのできる自分は人間的でないと恐れて、アイドルをすることをやめてしまったのだ。

 

しかしあるみは、桜子の否定を乗り越え、アイドルたらんとした桜子の姿を称賛する。

 

ここで桜子は、アイドル桜子も自分の一部だと認め、過去の自分との融和に成功するのである。

そして、周囲の要請ではなく、自らの意思で再びステージに立つ。

あるみと出会うまでの桜子は、過去の傷跡を隠すために周囲から心を閉ざし、他人のいない世界に閉じこもってしまったといえるだろう。あるみは桜子が周囲との間に作っていた壁を壊し、桜子が自分本位に築いてきた世界から彼女を救い出すのだ。

カイコ先生の作品においては、自分本位の世界を失うことが痛みを伴う喪失として描かれていたが、本作は自分本位に作った世界を乗り越えていくことをポジティブに描いている。

関係性

さて、百合として読むからには女性二人の関係性も考察せねばなるまい。

これは女同士の関係とはいえ、オーソドックスなボーイミーツガールとして読むことができるだろう。

現状維持に走り、自分の感情を失っている桜子が、無鉄砲だが行動的で、強烈な感情表現をするあるみに出会うことで、自分の好きという感情を取り戻す。

そして最後には、ただ振り回されるだけではなく肩を並べて戦っていく仲間になる。

予定調和的とさえ言える王道ストーリーだが、描写がとても丁寧でのめり込むことができた。

こういう百合もあるのだなあ。面白い。

漫画を読んでこい

絵にまるで触れなかったが、見ての通り絵が可愛い。

そして、背が低くスレンダーな桜子と、高身長でグラマーなあるみ(わざと顔しか引用しなかったのだが、本当にすごい)はルックスでも好対照をなしている。学園というのが中学なのか高校なのかはっきりしない。

回想だけセリフなしのキャラクター(四天王)も、ルックスの時点でキャラが立っていて、続編があったらきっと面白いだろう(無いだろうが)。

動きや勢いも一級品なので、是非読むことをオススメする。

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ついでに松本陽介先生のツイコミ。

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松本陽介先生のピクシブ

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百合学芸員(ユリキュレーター)の誘い③【#わすれてしまうわたしたち】

百合学芸員にオススメされたもう一つの漫画です。

comic-days.com

もちろん本編↑を読んでもらわなくては話にならないのだが、説明の便利のために次節にダイジェストを載せる。

ダイジェスト

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「推し」が卒業してしまい、無気力に過ごす主人公。

彼女が出会うのが――

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ラブピースアース(LPE)という電波配信者。

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主人公は興味を持ちフォロー。

のちにフォローを返される。

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そんなある日、LPEがカメラが故障して配信できないと呟く。

お金が無いせいだろうと思った主人公は、Paypalで貢ごうとDMするが、LPEはPaypalがわからないからと実際に会うことを希望(!)

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実際に会ったLPEは、配信での饒舌ぶりからは想像もつかないほど人見知りだった。

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お金を渡すと「お礼がしたい」と言うLPE。

主人公は……。

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連れまわして写真を撮る。

帰り際、LPEは「久しぶりの街の喧噪で気持ち悪くなった」と嘔吐してしまい、主人公が介抱する。

なりゆきでLPEの自宅アパートまで来てしまったが、LPEは意に介さない。

その後、主人公とLPEが出会うことはない。

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LPEに人が集まるとともに、やっかいごとも集まってきた。

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そんなある日、LPEが真似をしたアイドルに殺害予告をしたことで炎上、垢消しに追い込まれる。
その後しばらくは泣いて過ごしていた主人公も、バイトを変えて推しを変え、いつしかLPEを思い出さなくなってしまう……が。

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LPEにフォローされる。

その晩、LPEの配信が。

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元のキャラをかなぐり捨てて、自分を飽きたら捨てた・使い捨てた・消費したファン達への恨み言を吐き連ねる(是非読んで欲しい)。

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自殺さえほのめかすのを見て、主人公はすぐさまLPEの家を目指す。

彼女の魂の叫びは是非自分の目で確認して欲しい。

変化していく関係性

この漫画に描かれるのは、ファンである主人公と推されるLPEである。

最初はその関係に対称性はない。

主人公の関心が一方的にLPEに向いている状態だ。

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主人公が「顔がいい」「面白い」という感情を一方的にLPEに向けるのは、人格と人格の結ぶ関係とはまるで異なる。主人公への関心が一切払われないという条件付きの承認であり、いわば檻の外から珍獣を見ているような関係である。

 

しかし貢ぐために直接会うことになり、その関係も若干変化する。

 

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主人公は、饒舌で電波なLPEが演じられたキャラであり、素のLPEが人見知りであること知る。LPE側も実際に会うにあたってはあえてキャラを守ろうとはしない。
お金を貢ぐ見返りとして主人公が求めたのは、LPEがエモい所に居る写真を撮ることだけ。あくまでファンと推しという関係を崩さず、キャラとしてのLPEにしか期待するところがない。

LPEを介抱する時だって、何の見返りも求めない。

ヒトと珍獣という距離感を超えて簒奪しようとはしないのである。

 

LPEはこれまで貢ぐことの「お返し」として、キャラを逸脱してまでセックスしたり友達になったりしてきたのであろう。

ファンの「貢ぎ行為」が下心のもとで行われると察しつつも、忘れられないために、寂しさを埋めるために「お返し」を差し出す。LPEという虚像へのあこがれ、珍獣への興味で結ぶのはキャラ対ファンの関係であり、やはり(キャラではなく演者としての)LPE対(ファンではなく対等の人間としての)顔の有る個人という関係とは重ならない。どこまでも演者としてのLPEが疎外された満足の構造だけがある。

 

そして最後の配信からラストには、この関係がさらに変化する。

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淀んだ内面を吐き出すLPEは、LPEはロールプレイされた人格、虚像でしかなかったことを明かして、演じていたLPEの実像(中の人)の願いは「忘れられないこと」だったと語り、自分に飽きたら忘れたファン達への恨みつらみを並べ、挙句はキャラを守るためにキャラを逸脱するという禁忌である、ファンとの繋がりや肉体関係まで暴露する。

その後、LPEは自殺する様子を配信することで絶対に忘れられない存在になろうとする(私は自殺したところですぐ忘れられると思うが)。

視聴者はLPEの叫びにもなんの当事者性も持たず、ただ無責任に、画面の向こうからはやし立てるだけ。これだけ悲痛な訴えをしても、彼らにとってLPEは依然として檻の中の珍獣である。

しかし主人公は、大急ぎで家を飛び出し、一度行っただけの彼女のアパートまで助けに行く。

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この期に及んでまだ現実感の無いコメント。死んだところで遠い世界のフィクションとして消費されて終わるのだろう

主人公を突き動かしたのは、「顔がいい、キャラが濃い」といったキャラ・役としてのLPEへの興味、遠巻きに珍獣を見る感覚ではなく、「キャラを演じてくれたLPE」という演者・実在するいち個人への労りと感謝、人格的な尊重であり、虚像=キャラとしてのLPEに期待するところは無い。

ここに来てようやく、LPEは仮面の下の自分を承認してもらえたと言えるのではないだろうか。

 

近年になって、ファンが自身と非対称なアイドル的存在(生主、ライバー、YouTuber、VTuber、レイヤー、その他創作者……)に注意力と経済的利益を注入するエンターテインメントの在り方はかなり身近になった。

本作は、そういったエンターテインメントの中で消費されるキャラ、そしてキャラと共に消費される人格への考察だろう。

 

主人公とLPEの関係という切り口で語るのに専心したが、全てがドラマチックかつ丁寧に描かれていて読み応え抜群であった。ぜひ自分で読んで、それ以外のテーマに想いを馳せてみてほしい。

 

それににしても、

百合って広いんだなあ。

 

オススメの百合(に限らずなんでも)を教えてください→@majekichi

 

百合学芸員(ユリキュレーター)の誘い②【カレーをたべる❤ふぁむふぁたる❤】

 

百合学芸員から次にオススメされたのはこちら。

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ユリキュレーション

①なおいまい「カレーをたべる❤ふぁむふぁたる❤」

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???

ポップというか、原宿系というか。

先にレコメンドされたカイコ先生とは180度雰囲気が違ってびっくり。

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??

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主人公・ゆめろん(本名・河合ウメ子)はオフ会で会ったユウトにガチ恋

以降、個人通話したり二人で会ったりと急速に距離を縮めていく。

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ついにはライブのために止まったホテルで寝ているとき覆いかぶさられるが、目を閉じて待っていると何もされずに終わり、ユウトの真意が読めないゆめろんは悶々とする。

そんなある日、グループ通話で「ユウトは手が早いからゆめろんさんも気をつけて」を皮切りに、その場に居ないユウトの悪口で盛り上がり始める。ゆめろんも流れに任せて思ってもいないユウトの悪口を言ってしまう。

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すごい絵

自己嫌悪に陥るゆめろんに、タイムリーにメッセージが。

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自分の発言がバレたのかと不安になるゆめろんだが、気持ちを切り替え、謝って自分の気持ちを伝えようとユウトに会いに行く。

しかし。

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いざユウトと向かい合うと逃げ出し、適当な店に入ってしまう。

そして泣きながらカレーを食べていると、なぜかユウトが現れる。

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決意していた通り、正直に謝るゆめろん

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すると、ユウトはそんなこと知らなかった、自分もゆめろんの居ないときに悪く言ってしまったことがある、と。

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想いを伝えあった二人が、二人で陰口を聞いてもものともしない姿で閉幕。

二人の世界のほうがコミュニティより強い!ゆめろん大勝利!

 

最初は「女社会怖いね」を克服するだけの話だと思っていたのだが、誰も信じられない、信じないことを紐帯に作られたコミュニティを頼りに不安に生きていたゆめろんが、ユウトとの関係に乗り換えることで安心を手に入れるというストーリーなのかもしれない。

二人の世界の不確かさを描くばかりが百合ではないということだろうか。

 

また、本作はカワイイだけではない!

徹底的にカワイイ絵柄である一方、悪口がリアルに描かれたり、実は読者からしてみればユウトは節操がないという疑惑が払拭されていなかったりと、全体的にどことなく不穏なアンバランス感を纏っている。

また、自己完結している所を踏まえてゆめろんの心理描写を見ているとまた面白い。

文字だけの、想像上のユウトを相手にしているゆめろんはハツラツとしている。

しかし、グループチャットで自分に関心が向いているときのゆめろん、ユウトが男も女も見境なく手を出すと知ってから現実で会ったゆめろんはとても怯えている。

これは他者に関心が向く、されど他者の関心が怖いという、コミュニケーションが不得手な人間に時折見られる性質を忠実に再現している。

強くデフォルメがかかっている割にとてもリアルな気がする。

面白い、読めば読むほど面白い。

とにかく、これも百合か……。

2020/6/18追記

あーん! 無料公開死んだ!

しかし単行本に、書き下ろし「カレーをつくる♡ふぁむふぁたる♡」等と共に収録された模様↓